コミュニケーションの手段に人はこれ以上のリアリティを求めているのだろうか?例えば感情などが否応なく相手に伝わってしまうチャット
があったとして,それを使いたがるのだろうか?人は手軽さや利便性といった進化は求めるが,リアリティは求めていないのではあるまいか?
AMNのブロガーミーティングで,3
次元仮想空間(Metaverse)の株式会社スプリュームを訪問した.
- 「仮
想空間とブログ」ブロガーミーティングにご参加いただき,ありがとうございました. : AMNブログ - “AMN”
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スプリュームは3次元仮想空間におけるコミュニケーションの長所として「距離感」をあげていた.ここでいう距離感とは,例えばパー
ティー
の場で自分と
- 自分と会話している人との距離感
- 自分と会話している人の話を聞いている人との距離感
- 少し離れて,他の話をしている人たちとの距離感
のこと.はたしてこの距離感にそれほどのありがたみがあるのだろうか?そもそも人はコミュニケーション手段にこれ以上のリアリティを求
めているのだろうか?
例えば感情が伝わりやすい伝わりにくいって,リアリティにかなり寄与しているだろう.だとすれば.
対面での会話では言葉には出てこないコミュニケーションもしている.当事者の表情などだ.アリスの表情を見ればボブはアリスの感情を読み取れる.ボ
ブはアリスが怒っているのか悲しんでいるのか認識できるし,対応も取れるだろう.
現在のチャットではバリエーションは少ないものの顔文字によって感情を伝
えることが出来る.ただし,アリスがボブに感情を伝えたい場合のみだ.対面では漏れるようにアリスからボブに伝わってしまう情報なのだけれども,チャット
だとアリスは情報をコントロールできる.顔文字を使わないだけでアリスはポーカーフェイスが装える.
感情が相手に伝わってしまうような(感情伝達機能がOFFできないような)チャットであれば,今よりもリアリティのあるコミュニケー
ションが可能だろう.ただしかし,そのようなサービスを使いたいと思うだろうか?臨場感なり感情なりが伝わる仮想空間が開発されたとして,人はそれを選ぶ
のだろうか?
今すでに実用化されているテレビ電話だって,相手が恋人か上司かによってもプラスにもマイナスにもなりえるだろう.少なくとも,寝ぐせ
のついた頭だったらテレビ電話のカメラを手で覆うでしょ?
人はコミュニケーション手段に手軽さや利便性といった進化は求めるが,リアリティは求めていないのではあるまいか?
追記:
このエントリー投稿後に同じ参加者のエントリーを読んでいたら,「距離感」に魅力を感じている人がいた.
また,イベントの準備をしていたときに,僕のキャラのとなりに可愛い女の子キャラのアバターが座ってくれた.なんだかドキドキし
た.全
然話すこともないので,一言も発言できないヘタレな自分だったが(3D酔いしてた),こういう感覚って,学生時代に人の距離感覚の違う女の子が横にぴった
りついたような感じだった.そういう魅力はあると思った.
三次元仮想空間を使っての三次元仮想キャバクラは出来るのかもしれないね.いつの時代も,新しいメディアはアダルトが技術水準を上げそ
して普及させていく.
なお,アダルトの効用はスプリュームの中の人も同意している.